不要な緊張を消す 2

 

 体の全ての異常は筋肉の緊張から起こります。すごく単純な考え方ですが、体の内部のあらゆる動きを司るのが筋肉であるなら、そこに起こる機能異常も筋肉の過剰な緊張に起因すると考えます。ここでの「筋肉」には一般的な運動器の筋肉だけでなく、内臓の筋肉も含みますし、さらには血管や皮膚を動かすような微細な筋肉までも含みます。体はそれがどんな些細な機能異常であっても、そうした異常を周囲の筋肉を緊張させることで「保護」しようとします。この保護のために全身が本来の自然な動きを行うことができなくなると、代償のための「不自然な動き」を構築せざるを得ず、そこでさらなる筋肉の緊張が必要となります。私たちの体がその内部の隅々まで理想的な状態で動いているわけではない以上、こうした筋肉の過剰な緊張は必須であり、それは常に愁訴や疾病の潜在的要因として存在し続け、そのバランスが崩れればこうした緊張は容易に愁訴や疾病となって表面に現れてきます。

 

     イ)治癒に必要な体力がない(治るための機能的な余裕がない)
     ホ)体が正常に機能できない何らかの要因がある(既往歴など)
     ヘ)体の機能が複雑化することで脳が正しく管理しにくい状態にある
     ニ)意識や精神の問題が体に誤作動を起こさせている【意識・精神的要因】

 

 これは「はじめに」のところで用いた「体が治らない理由」の区分ですが、この全てに筋肉の過剰な緊張は関わっています。必然性を伴う筋肉の過剰な緊張をここで大まかに二つに区分しておくと、一つは体に「何らかの庇うべき対象」が存在し、それを庇うために生じる緊張です。これは「原因さえなくなれば消失する単純な緊張」と考えて貰って構いません。上記の四区分でいえば「ホ」に相当します。もう一つは自律神経の乱れである交感神経の過剰な興奮です。これにはさまざまな要因が考えられるので、残りの「イ・ヘ・ニ」の全てが該当するとします。交感神経が過剰に緊張する背景には「疲労の蓄積を補うための緊張」や「僅かな体の不具合を緊張で補う」、また「精神的なストレスによる緊張」などがあります(それぞれがイ・ヘ・ニに該当)。もちろん「ホ」の場合にも交感神経の過剰な活動は関与するのですが、これは原因が明確という点で他の三つとは違うことになります(他の三つは「体の何かを解消すれば済む」というわけではない)。

 

 この二つの区分は単純に「原因が明確であるか否か」の区分です。明確な場合は施術対象を定めやすく単純で済むのですが、そうでない場合は対象が「筋肉の緊張」といえど、その解消は難しくなります。「緊張が強い体」というと、誰もがそれを「即座に正すべき対象」と捉えがちですが、体はこれまでそうした緊張状態の中で自らの身体機能のバランス(恒常性)を構築しているわけで、強い緊張を伴うにせよ、それは体が「安定して機能できる状態」という意味も持ちます。対してこれを弛めようとする施術は、この安定状態を壊し、身体機能を不安定にすることに繋がるわけで、無闇に行うべきものではありません(「ホ」のみはそうした危険性が少ない)。ただ、実際には「ホ」以外の理由で緊張を抱えている体に対して、それを弛める施術を行っても、すぐに元に戻ってしまうものです。これは「弛める」ということが体を不安定にすれば、体は元の緊張による安定状態へと戻ろうとする体自身の防御作用によります。