施術の選択

 

 ここまで「体が治らない理由」として説明をしてきたのは、体が治るためにはいろいろの要素があるので、直線的に「患部を治そう」とすべきではないということを分かって貰うためです。体が治らないというのは、体が誤った状態で機能したまま停滞しているということですが、そこには「体なりの事情」もあるわけです。何らかの理由があってやむを得ず現状の機能で安定しているわけで、それを外から闇雲に治そうとしても、そうした施術は体に馴染みにくいものです(必ずしも施術者が勝手に治してよい愁訴ばかりではない)。「治る」のは結果であり、その結果を得るために体力(回復力)を補うのか、回復の障害となっている局所の機能異常を正すのか、複雑化した機能を整理すべきなのか、精神的な問題を体から改善していくべきなのか、その都度いずれかを選択して欲しいのです。これは同じ人でもその度に必要な施術が変わることも当然あります。

 

 目的が定まれば、そこでどう施術を進めていけばいいのかを考えることになります。これは「先に体ありき」ということで、施術者の技術が先にあるのではありません(愁訴に対して効果的なテクニックを用いようとする)。目的が先なら、その目的を達成するためにはどういう施術が必要になるかを考えねばなりません。そこで必要となる技法がなければ、既存の方法を改良するなりしてその場で生み出さなくてはなりません。施術者の持っている技術が先に立ってしまうと、それは決められた商品を売っているお店のようなもので、施術の中での大きな発展は望みにくくなります。しかし先に目的がある場合は、その目的達成のために既存の技法を改良したり、新しい方法を試したりと、そこに「創造性」が多分に加わることになります。決められた技法に頼るよりは、不器用でも「体に合った方法」を模索することに意味があると思うのです。

 

 先の四つの区分のうち「ニ)精神的な要因」を除く残りの三つは施術のスタンス自体が違うものです。「イ)回復力の不足」は現状の体がよりよい状態で安定することを望み(大きな機能的な変化は与えない施術)、「ホ)局部的な機能異常」は回復の障害を取り去りさえすれば体自身が回復できることを見越して行う施術であり(それだけの機能的な余裕が体に見てとれる限りにおいて行う施術)、「ヘ)身体機能の複雑化」は体の基盤を固めるためにあえて遠回りをしようという施術です(積み重ねによって効果を得ようとする施術)。「治す」という結果に焦らず、いかに無理なく自然に治る状態を作っていくかが重要なのであり、そうした施術は回を重ねる度に身体機能を正常化させ、自己治癒力の高い体を作っていくことに繋がります。施術一回一回の効果に拘らず、先を見据えて計画的な施術を行っていくのです(施術を重ねる度に体は治り易い状態になっていく)。