カラダの機能を高める その1

 

 私が施術の中で重視することは、施術の技術如何よりも相手のカラダがどういう状態にあるかの見極めです。一度の施術の中で素晴らしい変化を引き起こせる施術者は多いと思います。しかし、そうした施術を十回続けたらそれがそのまま十倍の効果に繋がるかといえば、私は否だと思います。やはり施術効果が「戻る」というのは避けられないことですし、大きな変化というのはカラダの機能に急変を強いるものなので、効果が大きければ大きいほど、カラダはそれに対して「戻そう」と強く働きます。そしてどんな大きな変化も、それがカラダに学習などの形で定着していくのでない限りは、施術の変化がそのまま累積として効果に繋がることは難しいと思います(長い目でみると「やはり時間が経つと腰が痛い」など)。これに対してここで重視するのは「どれだけ大きな変化を与えられるか」ではなく「いまカラダが必要としている動きや刺激は何か」です。カラダ自身だって「治りたい」わけですから、施術をその手助けに限定すれば、カラダは自力で先へ進んでくれます。そしてカラダ自身が大きな変化を必要としている時、施術で必要な後押しを行えば、そこで自然な「劇的な変化」が起こります。特殊なケースや特殊な施術者の施術を除けば、劇的な変化というのは施術者が行うよりも、カラダ自身に行わせるのが自然なあり方です。

 

 とはいえ、大抵の施術者はその人なりに「いま何をすべきか」を重視するなるでしょうから、そこについては触れません。問題はそうした施術を続けてカラダに一定の大きな変化が現れてからです。話が少し遠回りになりますが、私たちのカラダというのは非常に不完全かつ不安定な状態にあるのが普通です。これは私たちがカラダの持つ機能(潜在機能)を充分に活かすことができず、非常に偏った使い方をしているためです。その結果として本来は統合すべきカラダの諸機能がバラバラに機能し、その能力を充分に活かせない状態にあるといえます。これは身体機能だけでなく、心身の統合でも同じことです。そして私たちが施術で目指すのもこの統合となるわけですが、統合というのは現在ある個々の機能・能力が統合するに足るまで充分に充実していることが必須です。対して私たちのカラダはいろいろな感覚や経験が不足しており、それを統合に結びつけるには幾つかの経験と学習による段階(成長の段階)が必要となります。これについては先に「身体機能だけでいえばより理想的なのは野生動物や幼い子供」といったことで説明しました。

 

 まず、一般的な男性を例に考えていきます。大抵のヒトの身体感覚というのは運動器(体壁系)に偏っています。骨、筋肉などならいろいろな実感が強くあるものの、内臓となると「よく分からない」というのが普通です。これは本来内臓(内臓系)に回るべき血液を体壁系で消費することから起こる神経活動の低下(感覚の低下です)。この時点で、ヒトは内臓の感覚を強く有し、その働きに沿って生活行動を行っている野生動物や幼い子供に劣るわけです。また、動物や子供は全身を均等に使うため、頭部も手足のように「道具」と認識していますが、私たちは「頭部は守るべきもの」として、全身を均等に(普通に)使うことができません。これらの結果として機能や循環に大きな偏りが生じるようになり、本来の機能を使えないばかりか回復力や免疫力は慢性的に低下し、本来なら自己治癒できるはずの愁訴や疾病に日々悩まされることになっています。理性的な生活によって高度な社会生活を送れるようになったと言っても、単体でみれば自身の生存維持を他者(医者など)に頼らざるを得ないあまりに不完全な個体であり、生物が本来持つべき機能の多くを失っています。もちろんそうでないヒトも多くいるわけですが、ここではあくまで一般的な男性を例にした話なので流して下さい。

 

 ヒトのカラダを動物的な側面からその機能の正否を考えた場合、私たちのカラダに足りないのは身体各機能の協調性です。これは先の資料の中で「連携」と表現しましたが、各機能の連携が途切れて全身をいわば「バラバラの状態」で使っているようなものなので、まずは各組織の機能の連携を回復させる必要があります。これは「全身諸機能での均一な血液循環」と置き換えてもいいと思います。ここで話が戻るわけですが、施術によって各機能の連携の途切れが徐々に回復し、一定の連携が得られるようになったとします。この時のカラダは機能や血液循環に本来あるべき「流動性」が回復したようなもので、いわば「だいたい全身が整ってきた」といった状態です。しかしそうした効果の積み重ねは、それがなんらかの形で全身が整う(限定条件付きだが統合した)という、明確な「ひとつの結果」とならなければ次の段階へ進むことができません。どんなに身体機能を整えたとしても、それは「いまのカラダの層(いまの状態なりの身体機能)」の中でのみの整い方に過ぎないので、それを超えて一段階上で機能できるようになるためには、通常の変化とは異なる「著しく大きな身体機能の変化」が必要になります。

 

 ヒトの身体機能は千差万別で、同じ年齢でもまともに歩くことさえ難しいヒトもいれば、オリンピックで活躍するヒトもいます。機能的には同じものを有しているにも関わらずです。もちろん持って生まれた才能やその方向性などを考えれば同じ括りで考えることはできないのですが、それでも同じ機能を有している以上、その機能を訓練していくことで得られる「より高い機能を有するカラダ」というものは誰にでもあり、それは武術や日本舞踊・茶道といった習い事が証明してくれています。しかし実際にはカラダが一段階上で機能するにはそこに大きな壁があり、なかなか超えることはできません。しかし施術者がそこについての充分な知識を有していれば、充分な補助が可能となります。先の「だいたいカラダが整ってきた」という状況は、あと一押しで壁を超えることができる状況であり、その越え方を知っている者が手助けをすれば超えることは可能です。そこでの施術は「詰将棋」のようなもので、一手一手は平凡であっても、最終的にそれが大きな変化へと繋がればいいので、重要なのは「一度の施術による効果の大小」ではなく「綿密に練られた計画性のある施術」です。

 


カラダの機能を高める その2

 

 カラダが現状の機能の中で整う時には一定のルールがあり、これには自律神経の働きが関わっています。自律神経は通常、全身を同時に一括管理しているわけではありません。カラダを何分割かして、それぞれを個別に管理しているのが普通です。この背景には先の全身諸機能の連携の途切れが影響しているわけですが、一般的な分割の仕方は「上半身と下半身」「左右それぞれの半身」「カラダの前側と後側」などです。この時点で全身は八ヶ所に分割管理されていることになります。ただ実際にはこの応用である場合が多く、頭部が別管理であったり、下肢の中でも幾つかの分離があったり、逆に片側の半身が均一などと様々です。ここでは最悪の状態として、全身の主要な関節の全てで連携が途切れてバラバラなヒトを例としましょう。このカラダを施術によって段階的に連携を回復させたとします。すると連携の回復した範囲では、その機能や血液の循環に協調性が生まれ、流動性

 

ダがその機能を一段階あげようとする時というのは、非常に不安定になります。に「身体機能だけでいえばより理想的なのは野生動物や幼い子供」といったことで説明しました。