「ヤマトノ潜窟」へようこそ


 

 

 この仕事に就いて気づけば20年を過ぎました。その大半は自分が納得できる施術を模索すると共に、「大和をどういう形で伝えるか」に費やしてきました。とはいえ、私がどんな形で大和を伝えようと、それも「私の考えるなりの大和」に過ぎないので、私のやっていることが「大和の正しい形」などとは思っておりません。大和が私へと代替わりをしたのなら、私なりの色で染めていくしかないわけで、それが間違いであったなら後の人が正してくれることでしょう。それでも、私が「自分の色が強い」と感じたものは言葉に出さず、なるべく誰でも受け入れやすい色だけに絞ってはきたつもりです。とはいえ、基本の段階を資料化することは比較的容易でも、その先や応用となると言葉にすることは難しく、古傷を治すための体調不良も伴って、我ながら長らく、歯切れの悪い資料作成となっておりました。

 

 とはいえ、そうこうしているうちに気付けばもうすぐ五十歳になろうという年齢となりました。長年、大和の指導を中心に据えた施術家生活を送ってきた身としては、「どこかで区切りを迎えたい」という気持ちも生じるわけで、ちょうど自分の中で「指導のための大和整體」というものがまとまったこともあり、その区切りを五十歳にしようと考えるに至りました。そのためには、これまでの資料を全て修正していく必要があるのですが、同時にこれまで言語化できなかった「表現の難しい部分」についても言語化するために、あらたにこの「ヤマトの潜窟」というページを設けた次第です。こちらはあまりヒトの目に触れることもないと思いますので、わりと気軽に書いていけるかと思います。

 

 先に本音を吐いてしまえば、そもそも私は「治療」にあまり興味はありません。興味があるのは「ヒトのカラダの仕組み」であり、その背景にある世界の仕組み=宇宙の根本原理です。我ながら大層なことを言ってますが、昔からずっとそう思ってきたので仕方ありません(できるできないではなく好きなこと)。その結果として最初に選んだ道は「画家」でしたし、そうした時期も心酔していたのはゲーテやらランボーやらバッハやらと、およそ治療とは関わりのない場所におりました。いまでも治療における理想のカラダはギリシア彫刻の美しい姿だったり、一部の仏像のが持つこの世のものとは思えない流麗さだったりします。「ヒトのカラダを本来あるべき完成系へと近づける」。それが私が施術で目指すべき理想であり、全ての方法論はそのためにあるのだといまでも普通に思っています。

 

 ただし私は、最近のスピブームのように「ヒトは輝ける存在になるべき」などとは思っておりません。どうせ死んだらあっち側に行くのですから、生きている間はヒトとしての「愚直な生」を楽しめば良いのだと思います。生きている限りはどうしたって「肉体と共存」をしなければいけないわけで、その肉体と理想的な共生関係を結ぶための答えを探すのが、施術を通じて私が知りたい「世界の仕組み」であり、大和整體なのだと思っています。体とはそのヒトの意識の状態を具現化した「鏡」です。意識の偏りは必ず体に現れ、歪みや愁訴となって意識の誤りを具現化します。逆に、体が整う過程の数多くの経験は、意識に多くの気付きを与え、意識の誤りを正してくれるものです。体が整う過程を経験することが意識の歪みをただし、そのヒトの生をよりよいものへと変えていく。その仕組みと過程を言語化しようという試みが、このホームページだとお考下さい。