大和の独り言


 

 R02/01/15 … 勉強会の復習

  勉強会を終えたので、復習的な内容をここで書いておきます。

 最初にやった「触り方」は、相手によって、または自分の感覚次第で「触り方が固定されてしまう」ということの怖さがテーマです。普通に学校卒業して、施術を「技術」として割り切ってしまうと、そういうことには気づかないでしょう? 結局、自分の触れ方次第で変えられるものは無数にあるわけで(実際は何でも変えられるわけじゃないけど)、同じ層ばかり見て、それで治らないものを「他の治療法や技法なら治るかも?」と追いかけても、たぶんそこに答えはないわけで、答えはちゃんと目の前にあったりするわけです。多くの技術を手に入れるより、ひとつの技術を正しく応用できた方がいい、というのが私の考えです。まぁ、使い方がよく分からないというヒトは、とりあえず「何も定めない・狙わない」という触れ方を多くやって見て下さい。大変だけど、あとで得られるものは多いでしょうから。

  次いで二つ目にやったお腹の「怖いやつ(笑)」。あれは「みんな誰でも自分の体をちゃんと感じてないんだよ〜」というのが出発点で、ズレが大きい人ほど怖さを感じます。過呼吸とか解離とか、体がないヒトならなおさら。まぁ、いざって時に便利な方法なので、いざって時に使えるよう身内相手に練習してみて下さい。

 で、三番目の拮抗筋。あれはやれば分かるけど、いくら反射機能が回復するとは言っても「現状の体なりに」という条件付きです。運動器バラバラとか、内臓ぐちゃぐちゃとかでそれほど反射機能が高まるわけはないので、足の反射機能を高めると、次はその反射に付いてこれない運動器や内臓の問題が表面化するだけ。つまり膝下を治せば膝上の問題が露呈し、膝上が整えば膝下の機能不足が表面化するから、そこでまた膝下の機能を向上させる。その繰り返しで体が本来の状態になっていくわけですね。長〜い道のりです(笑)。ただ、膝下への施術に拮抗筋の反射機能回復の施術を混ぜていくと、できることは格段に増えてくる筈です。「足が悪い時、他じゃ治らないけどここに来るとすぐ治るんだよね」と、患者さんに言われるようになって下さい。生き残るのが難しい時代になってきたからこそ、他にはない自分だけの武器を磨きましょう!

 あと、これは言い忘れなんですが、来年はお話したように「勉強会と練習会」という区分にする予定なので、塾生制度はなくなります。とはいえ、これまで塾生だったヒトは、一定のところまで感覚や技術を高めておいて欲しいわけで、本当は塾生の数人だけの勉強会をやりたいのです。ただ3月までは無理だし、4、5月も無理。時期ずれちゃうけど最初は6月かな。塾生以上、免状未満のヒトでその気のあるヒトは第2日曜を空けておいて下さい。よろしくです。

 


 

 R02/01/07 … 明けましておめでとうごいます

  いろいろと書いておきたいことがあり、このページを立ち上げたのですが、書くことが多く溜まったまま年を越してしまいました。昨年末には数年続けてきた水曜夜の勉強会が終了となり、自分の中では一区切りとなっています。あとは本年度の勉強会も三回を残すのみ。そうした中で「来年は勉強会をやるんですか?」との問い合わせも頂いています。結論は「やります」です。ただ、今年で「伝えたいことは全部伝えた」とするつもりでいますので、勉強会の形は大きく変える予定です。

 まぁ、長年指導をさせて頂いていると、その内容も最初の頃とは随分と様変わりをしていきます。また参加して頂く先生方も新旧でレベルが大きく変わるわけで、その中で基本と上級、基本と応用など、一応の区分を設けて対応させて頂きましたが、どんな技術も先を見ればキリがなく、またその中で伝えられることにも限りがあるものです。個人的には、ウチのスタッフでは当然というか、暗黙の了解になっている部分を参加者の先生方にお伝えできれば、そこが区切りだと思ってきました。その”部分”というのは、「ヒトを見て・扱う」というものです。分かりやすいのは「ウチの與那覇が行う施術」ではないかと思います。

 いまウチには私の他に與那覇とアキがいますが、二人とも沖縄出身で優れた感覚の持ち主です。どちらも大和を始めた初期から、知識や理屈抜きで「この人の体はこんな感じ・こうすればいい」というごく自然な施術の関わり方があったように思います。私は施術を理屈っぽく説明しますが、それらはもともと、そうした感覚に優れたヒトに、そうでない者が追いつくための術だと思ってきました。普通の施術者の体の捉え方って、「悪い・悪くないの二択」か、せいぜい「すごく悪い・悪い・悪くないの三択」だと思うのです。外から悪いことを判断したら、あとは治すのに必要な施術を行うだけ。そこに痛みや苦しさについての共感が乏しい。しかし敏感なヒトはそこを自分のことのように感じ、扱うわけです。自分のことのように思ってしまえば、自分が受けたら楽になるような施術をするだけです。しかし(私を含め)感覚の乏しい施術者であっても、胃の細部までを繊細に扱う施術を常とすれば、そこに伴う集中力は膨大で、結果として必然的に同調することになります。これなら感覚に優れていなくても、施術による体の同調が必須となり、治さないと自分が大変な思いをする。私がそうであったように、こうした施術の繰り返しで経験的に敏感な感覚が身に付いていく。そういう施術者の育成が私の大和の指導の根幹でした。実際、多くの先生方にそうした感覚を植え付けることは出来ていると思います。

 でも、結局は長くやってると…理論的・技術的なことばかりに偏ってしまうんですよね。肝心なことをどう伝えればいいのか分からないのです。そもそもヒトの考えなど十人十色なので、皆がそうである必要はないと思うのですが、大和はそういう場にしておきたい。ただ、前回の勉強会でそこの部分をわりとうまく伝えられたのではないかと思っています。自分でも取っ掛かりは見つかったかと。あとは残り三回の勉強会でこのことにも区切りをつけるつもりでいます。

 で、ですね、来年(今年の四月以降)に考えているのは、勉強会は「春・夏・秋・冬」の計四回。これは基本的なことを丁寧に教える比較的新しい参加者向けの内容です。そこでは基本で小難しいことはやるにせよ、あまり複雑なことはやりません。あくまで「大和整体を広める」ための基本を徹底する場にするつもりです。とはいえ、私は「基本の手技」というのは「芸術的なレベルにまで完成されたものであるべき」と考えているので、内容は基本とはいえ徹底したものにするつもりです。「大和のヒトはとにかく手指の扱いがうまい」。そう周りに言わせる内容にするつもりです。しかし多くの参加者にとっては「ただの復習」となってしまうので、参加人数も少ないことを前提としています。そうでないと感覚的な部分は伝わりにくいですからね。

 ただ、これだけだと免状持ちの先生方や塾生の先生に「さよなら」と言っているようなもので無責任となってしまうので、前述の勉強会の翌月に「練習会」を設けようと考えています。あくまで練習会で、これもこれまでやったことの復習になりますが、「二年以上参加の先生を対象」ということで、こっちはやってほしいことがあれば何でも練習の対象とします。こうすれば、長年来て頂いている先生方も「困ったことや知りたいことがある時は練習会に参加」という形にできると思うので、毎回参加の必要もなくなります。つまり勉強会は講義が中心で、練習会は実技が中心ということです。まぁ、三ヶ月に一度なら「4月・7月・11月・2月」が勉強会。練習会は「5月・8月・12月・3月」となりますね。本当はもっと減らす予定だったのですが、諸事情を鑑みるとこの辺りが妥協点かと思うのです。

 まだいろいろと書いておきたいことはあるので、また書きます。

 


 

 R01/12/11 … 応用定期勉強会が終わりました

  参加者の皆さま、お疲れ様でした。 今回は私が長年、うまく伝えることができずに苦心していた部分、その核心部分をようやく伝えられました。今回の参加人数が少なかったことにも助けられ、我ながら会心の出来だったと思います(笑)。今回参加して頂いた先生方があの感覚に慣れ、勉強会の中で私と感覚を共有してくれると、それが周りにも自然と伝わりやすくなると思います。あの多面的に体を捉える感覚(キュビズム)は、次回の定期勉強会の最初にもちょっと復習するつもりですが、普段から練習しておいて下さい。

 そもそもあの感覚は、私が思うに、上の先生方では当たり前に使っているものです。どの層であれ、どの層のまとまりであれ、自在に触れる(アクセスできる)わけです。ただそのほとんどはもともと敏感なヒトが、トップダウン的な感覚からその領域まで達することで扱える場所みたいなもので、そこをトップダウン的な技法の中で指導するのは非常に難しく、「分かるヒトは分かる」となりやすい部分です。私の場合はそこを「ボトムアップなら最初からそこを扱える」と考えているわけです。そしてあれは「治す方法」ではなく「ヒトを理解する術」なので、あの方法を通じてヒトへの理解が深まることが、そのまま日々の施術の幅を広げることになるわけです。

 ヒトが誰しも内部に持つ「(層の)分離」という感覚。そしてこれを「統合」させること。今更ながら、これがこれまでお伝えしてきたもの全ての背景ということですね。そこに「層に付き合う」という考え方と、「層は無視してただ統合する」という考え方の二つがあるわけで、これをうまく使い分け、かつ噛み合わせることで「ほどよい妥協点」を見つけて下さい。最初はこれまで見ていた体が多層に広がり、何をどうすればいいのか収集が付かなくなるかもしれませんが、「体に正しい答を見つける」のがトップダウンなら、「体にほどよい妥協点を見つける」のがボトムアップだと思うので、その曖昧さを楽しんで貰いたいと思います。「ヒトならではの曖昧な答え」、その扱いに長けるのが大和施術だと私は思っています。

 ちなみに今回はビデオ撮っておいたので、興味があれば、定期勉強会に参加の先生ならどなたにも販売しますよ。

 


 

 R01/11/15 … 定期勉強会が終わりました その2

  この間の勉強会では、足の重要性からその流れで肘のマニアックな、とても定期で出すべきでない内容となってしまいました。まぁ、あの状況から「じゃあ基本の押し方」もないでしょうし、やむを得なかったと思っているのですが、次回の定期からは、今回の足の重要性を踏まえた上での基本的な施術に戻るつもりです。ただ、基本的な施術とは言っても、以後は先に書いた「混乱→安定」を前提とするので、単純な内容でも「そこで見える景色がヒトそれぞれで違う」ということが前提となります。たぶん、前回に伝えたかったのはここなんですよね。

 結局、足が安定して体の機能を引き出せるようになると、単純な施術でもそこで可能となることの幅が大きく広がる。長年施術をやっていると、最初の頃のようには日々の成長が望めなくなるわけですが、その壁を大きく越えるためのひとつの方法が「地味な足の安定」なわけです。ただ、この足の安定も、前回お伝えした訓練法などを「自分でやって頑張って下さいね」では芸がないわけで、勉強会での施術の練習自体がそこに直結し、先に進みやすくなることが重要だと思っています。勉強会という場の中でみんなの安定に関わる感覚が向上し、それを共有することでで、「それがき当たり前の場」となることが、当座の勉強会の理想形だと思います。

 本年度の残りの定期勉強会は、こうした方向性で進むものとご了承下さい。

 


 

 R01/11/12 … 定期勉強会が終わりました

 今回は台風で日程が変わったものの、「定期勉強会の後期の初回」という位置付けでおりました。内容的には定期の基本的な施術とは言い難いものになってしまいましたが、とにかく今回伝えたかったのは「改めて足の重要性」です。自分自身がこのところ色んな経験をしている中で、ようやく「足の重要性」について、なんとか説明ができるだろうと思えたからです。最近はよく患者さんにも、左足が使えるようになったヒトに「これがようやくレベル1で上を見たらキリがないんですよ」とか、「足を鍛えるのは年齢に関係なくレベル100まであると思って下さい」とか話しています。膝上を使って「立つ」限りは重要なのは腿の筋肉。そしてそこで必要となるのは筋肉量。しかし膝下を使って立つ限りは重要なのは下腿から足先までの筋肉・腱で、必要となるのは動きの質(神経の訓練度)です。大きな筋肉を動かす強い神経反応ではなく、その細部を細かく動かす緻密な神経反応。これは「丁寧な動き」でしか鍛えることができないもので、積み重ねた神経反応は年齢で衰えることがありません。ただ実際には、個人的に70歳台をピークとして、80歳を境に衰えることが多いようですが、これは別の理由があるのだと思います。70歳である領域まで達したヒトでは、以後に「動く」ことの意味や必然性自体が大きく変わってしまうような…。ともかく、そこまでは誰しもが鍛え続けて機能を向上させていくことができるわけです。

 ただ、こうした「強い足」について、頭ではなく体で実感して貰うのは難しいと思うわけで、今回の勉強会の目的はそこにありました。通常の施術で得られる足の機能向上や安定感、その先にある「扉」を開くことで、ようやく「レベル1」となるわけです。そもそも体・脳の機能というのは、下半身の安定を土台としています。体そのものが潜在的に抱えている機能というのは極限的に高いわけで、ただ私たちは誰しもそれをうまく引き出すことができないだけです。そして、それを引き出すために重要となるのが「体の安定」。私たちが日常出会う、また自身が抱えてる緊張というのは、根源的に考えれば「体の不安定性」に起因しています。不安定な体を倒れないようにするために多くの緊張(ブレーキ)を必要とし、そうした体で動くためには更に膨大な緊張が必要となります(ブレーキをかけつつアクセルを踏む)。こうして、ただ「立っている」だけで忙しくなってしまう体では、内臓の機能は日常的に低下し、それら諸々を踏まえて絹する脳の機能も非常に不安定となります。これでは体の機能が「混乱」を前提に作動しているようなもので、「体本来の性能を引き出す」以前の問題です。しかし、足がようやく「レベル1」に達したとすれば、先の「混乱」の中に「安定」という光明が見えてくるわけで、そこから先は「体本来の機能を解放する」という作業になっていくわけです。

  「混乱」の中に「安定」を、そしてその「安定」の比率が「混乱」を上回った時、おそらくそこで見える景色はそれまでと全く違うものとなり、それが現代人の多くが覗いたことのない景色だと思います(昔のヒトの多くには見えていた景色)。個人的には、私たち施術者がこの先も努力を続けて何かを得ようとするなら、目指すべきはひとつの指標はこうした景色なのだと思いますし、大和に長く関わってくれている先生方には、そうあって欲しいと思うのです。

 


 

 R01/11/2 … 扉 その二

 もともとは古武術の師の言葉が発端です。「日本は…(いろいろ歴史の話…)でとっくの昔に中国に占領されてるんだ、だから単一民族なんかじゃないんだよ」これがひとつ。

 もうひとつは「日本は大事なことを感覚的に伝えるだけで言葉で残してこなかったが、中国はちゃんと言葉に残して分かるようにしてきたんだ」ということです。

 太極拳を通じていろいろ調べれば調べるほど、確かに中国はちゃんと言葉にしてる。もともとは同じ民族なようなものだし、それが一方でちゃんと言葉に残されているなら、それはそれで有難いことでは? それが理解できたら、その上で中国の文化と日本の文化を区分すればいいんだし…。でもそれって、すごく大変な作業になるわけで、この時点で「ほんとにそこに足を踏み入れていいのか?」と躊躇してしまいます。

 しかしそこは、何事にもタイミングというのがあるわけで、 ちょっとした会話から「それ、大和医学の資料の言葉だよ」というやりとりがあり、久々に大和医学の資料を引っ張り出すことに。大和医学ももとは中医学と同じで、その両者の区分というか、境界が重要なんですが、そこは「よく分からない」という理由から、放っておいたんですよね。なんか変なタイミングでリンクしてしまった。…これは…やっぱり…やれってことか?

 で、現在に至るわけです。

 


 

 R01/11/2 … 扉 その一

 我ながら驚きなのですが、このところ中国思想ブームです。これまで大和整体を背景に「日本古来」のものに拘ってきました。選民主義といった思想はないつもりなのですが、それでも日本という国には他の国々にはない独自の文化や思想があるのは確かなわけで、そこでに重きをおいてきたわけです。昔は体のことを知りたくて琉球空手や合気道をかじりました。そしていま、齢50を越えて、また武術を始めようとなった時にも選んだのは古武術でした。そこで出会った師の話す言葉は非常に魅力的で、その多くは私が整体を通じて見ている身体観を肯定してくれるものであり、またその先を教えてくれるものでした。

 正直なところ、これまでの自分の身体観に似た考えや言葉を他で聞いたことがなく、「本当に正しいのだろうか?」という疑いはあったので、それが(ある一人のヒトに)肯定されただけでもひと安心です。またその先の話というのも私にとっては非常に分かりやすい内容で(多くの人には突飛に聞こえるようですが)、これまでの内容に区切りを迎えたいま、新たに大きな扉が開けた思いでした。

 しかしこの扉が…だいぶ大きいのです。扉が大きいということは、その先に広がっている世界が広いということで、一息ついてみると、どこから手をつけていいのやら、途方にくれてしまいました。昔の人の体や感覚についての資料は乏しく、どこにその手掛かりがあるのやら、見当もつかないわけです。また、それとは別に、古武術を自分の体で実践しようにも、長年動かなかった体です。まして武術から15年以上離れたいまでは、まともに体が動くわけもありません。かといって…いまからまた空手や合気道を再開? なんか気乗りがしません。琉球空手がどうとか、合気道がどうとかではなく、いまさら一般的な武術の「若いヒトに混じってガツガツ」というのが合わない気がするわけで、そこで選んだのは太極拳でした。個人的には「中国製品」にいいイメージがないので、中国モノに手を出すのは抵抗感があったのですが、そこには「老人に人気のある太極拳」「いまから始めれば10年後にはヒーロー?」という不純な動機もありました(笑)。

  最初は教わる場すら定まらずの四苦八苦でしたが、なんやかんやと、気づいたら相応に恵まれた環境にはいるようで、無事に入り口には辿り着いたと思います。そしてそれが同時に、中国思想ブームのきっかけに…。

 


 

R01/11/2 … はじめました

 これまで勉強会の関係で、長らく資料作成を続けてきましたが、ちょうどいまがその「転機」なのだと思います。これまでやってきたことに区切りが付き、同時にこれから覚え、理解しないといけないことも山積み。正直なところ、頭の中は見事なまでにぐちゃぐちゃです(笑)。こういう時はそれを言葉に整理していくのが私なりの整理法なのですが、あまりに私的な内容だし、ブログで公にするほどのものでもなし。そこでこんなページを設けたわけです。整理がついたら消すかもしれませんが、まぁ、初めてみます。