痛みと病気

 

 痛みや病気の起こる仕組みは、子供の生活をよく見えていると分かります。子供は基本的に「我慢」が嫌いです。歩いていても疲れたら「やすみたい(おんぶ)」と言いますし、遊んでいて疲れたら寝てしまいます。そこには「疲れを溜める」という感覚はありません。しかし私たち大人の生活は「我慢」の連続です。我慢の連続は疲労を蓄積させますが、それも体の中でうまくバランスがとれている間はよくても、どこかでバランスが崩れてしまえばそれが「痛みや病気」となって現れます。

 この「我慢」の難しいところは、そこに「意識的な我慢」と「無意識下の我慢」があることです。意識できる我慢というのは誰しも「ストレス」として認識しているので自覚がありますが、実際には「無意識下」で我慢してしまっていることの方がずっと多いものです。例えば通勤の「満員電車」。誰でも最初はすごくストレスに感じるものですが、次第に慣れてくると気にならなくなるものです。しかしそれは意識上のことであり、体は素直なので常にストレスとして感じ続けているものです。トイレを我慢するとか、眠いのを我慢する。どれも「ストレス」というほどのことではないように思えますが、体は「自然な生理反応」を邪魔されることを最もストレスに感じているものです。

 また、私たちの日常生活は、内臓にとってストレスの連続です。「内臓の働き」は「頭の働き」と対比されるもので、内臓は頭が働いている間は本来の活動ができません。頭がやすんでいる間だけ、活性化ができるのです。しかし、私たちの生活というのは起きている間中、頭を使いっぱなしなことがほとんどです。これが昔の人なら「昼寝」とか「夕暮れに河原でボーっとする」といった時間があったので、起きている間にも内臓を活性化させている時間が多かったものですが、私たち現代人ではせいぜい睡眠時に頭をやすませる程度です。こうして日常的に内臓の活動が抑制されることは、私たちの体にとって「最大のストレス」です。先の「無意識下のストレス」もそれがまず内臓に蓄積するので、私たちの内臓はストレスで常に不活性になっているようなものです(病院の検査には現れない問題)。

 内臓は疲れると緊張によって「縮こまり」ます。内臓が縮こまると全身の筋肉も縮こまることになってしまいます。こうなると、体を動かそうとしてもそれが「不自然な動き」となってしまい、自覚のないままに関節や筋肉に偏った疲れが蓄積することになります。体の痛みというのは急に現れるものですが、たいていはこうした背景から「出るべくして出る」ものなのです。このように関節や筋肉に蓄積した疲労から起こるのが「痛み」であり、内臓に蓄積した疲労から起こるのが「病気」だと考えて貰えばよいと思います。