骨というのは人体で唯一の硬組織で、当然ですが骨格として体を支える役割を持ちます。この資料では冒頭で「全ての身体機能異常の原因は筋肉に起因する」といった説明をしましたが、これは体の不調を単純に整理するためで、実際には骨組織の機能は人体の機能に多大な影響をもたらします。

 施術における骨の捉え方は、まずその周囲を包む「骨膜」とその中身である「内部組織」とします。骨は一般的に「硬いもの」と思われていますが、ここでの内部組織とは大まかに骨髄など、内部に柔らかさを持つ組織であると考えて下さい。この両者の間に「正しい連繋」が成立していれば、骨は一定の硬さを保ちつつ、かつしなやかな柔軟性を備えた組織として機能します。まずこうした状態を「骨組織の理想」として話を進めていきます。

 こうした骨を周囲で支える筋肉・靭帯などの軟部組織群は、交感神経の緊張によって簡単に強い収縮状態となります。骨はそもそも「体(体重)を支える」という意味で、日常的に強い負荷を受けているのですが、こうした負荷はその構造に沿った「自然な負荷」であり、それほど大きな問題とはなりません(骨は加重という負荷を受けることで活性化できる組織でもあるため)。しかし、ここに交感神経の過剰な働きに伴う「周囲組織の不要な緊張(不自然な緊張)」が持続的に加わるとなれば話は違います。これは「不自然な力(不自然な方向へとかかる力)」であり、こうした負荷に対して骨組織はその表面の「骨膜」を強く緊張させ、その構造を硬くすることで周囲のストレスに対抗します。しかしこの時、「表面が硬くなる=動きが抑制される」ことによって「内部組織」の代謝としての機能は相対的に低下します。

 骨膜と内部組織それぞれが自然な状態(自然な緊張状態)であれば、骨組織は理想的に代謝することができると共に、骨自身にかかる諸々の力を周囲(主に隣の骨)へと「受け流す」ことができます。しかし骨膜の緊張が強まることで相対的に内部組織の活動が抑制されると、本来の柔軟性を失った骨組織は自身にかかる諸々の力を受け流す力が低下します。骨膜と内部組織の差が一定の範囲を越えると、骨全体は自身にかかる力を受け流すことができず、その内部に「外部からの力」を蓄積してしまうようになります。これは「疲労骨折」などを想像して貰えば分かると思います。例えば石のような硬い構造物をしっかりと固定し、細い金属の棒で叩くとします。それだけで石が割れることはありませんが、これを延々と繰り返せば、力を逃がせない石の内部には徐々に「叩かれた力」が蓄積し、それが構造的な強度の限界に達した時点で割れてしまいます(疲労骨折と同じ)。

 こうした問題を回避するために骨膜の緊張を弛め、内部組織を活性化させることができればよいのですが、そう簡単にはいかない背景が骨組織にはあります。

 私たちが自分の体を「思い通りに動かせる」としたら、その時に起こっていることは運動神経や訓練度といった問題以前に「自身の体組織を正しく認識している」ということが前提となります。私たちの体の動きは下行性の「運動神経」によって決まる(命令の問題)と考えられやすいのですが、実際はまず上行性の「感覚神経」から体の情報が正しく脳に伝えられていることが重要となります。現在の体の状態、その細部までが正しい情報として脳へと伝わることで、脳は現状の体を理解し、その情報に沿いつつ目的とする体の動きを行うからこそ、そこに「無理のない自然な動き」が成立します。しかしこれを実現するためには「体の状態が整っている(滑らかな連繋)こと」と、「脳の情報処理能力に余裕があること」の二つが前提となります。

 感覚情報、その情報量は「体の諸機能がどの程度統合されているか」によって大きく変わります。例えば全身の機能がバラバラになっている人と(手足がチグハグとか運動器と内臓がチグハグとか)、幼い子供のようによく統合されている場合では、その感覚を情報を受け取り、処理する脳にかかる負荷の桁違いです。これは単純に「筋肉の緊張度」と捉えると整理がしやすいのですが、ある関節を支える周囲の筋群の張力がバラバラで、かつそれが関節ごとにも違う。更には体の外側(体壁系)と内側(内臓系)で筋肉の張力がまちまち(内臓系の臓器間の張力も違う)など、部位によって筋肉の張力に大きな生じている状態では、その機能を統合する脳には多大な負荷がかかります。これに対して「幼い子供」といった場合では、全身のどこを触ってもその筋肉の張力=体の張りが同じ(もしくは近い)なので、その統合は容易となります。

 これに加えて、例えば幼い子供のように頭で考えることなく(脳に頼ることなく)、本能的に動いているような場合では、脳の処理能力は体の動きに専念できるため「余裕」がある状態です。しかしこれが私たち大人のように、いつもあれこれ考えながら生活している状態では、脳の処理能力の多くをそちらに使用しています。この状態で同時に体を動かすとなれば、体の動きに関する処理能力が低下せざるを得ないわけで、その結果として「感覚神経の情報を充分に受け取れない」「受け取った情報に応じた動きを構築することができない」などといったことが起こります。こうした状態では私たちは自身の細部の機能までを感知することができなくなります。

 自身の体の状態を感覚神経を通じて知る時、その中で「核」となるのが骨に関する情報です。これは骨の情報というのが自身の体を構成する基礎であり、まず骨があることによって「自分の体の形」を正確に認識することができます。加えて骨の位置を正確に認識できるということは、そのまま「関節の感覚(関節を構成する骨の形状)」となり、これを正しく認識することで関節の構造に従う「自然な動き(関節とって効率よく負担の少ない動き)」が可能となります(これで「自分の体の動き」を正しく認識することができる)。つまり「関節の感覚がはっきりしている」ために、少しでも関節にとって負担の大きな動きを行えば、そこに強い「違和」を感じるため、無意識に関節の構造に合わせた動きが構築されるということです。この認識がうまくできなければ、例えば一軸にしか動かない膝関節に容易に捻りを加えてしまうなど、関節の形状・構造にとって不自然な動きが出やすくなります。

 しかし体が前述の「感覚情報」を正しく受け取れない状態の中では、骨・筋肉・靭帯・内臓など、さまざまな組織の情報が中途半端な状態で混在することになり(感覚の濁り)、その結果としてそれぞれの組織を個別に感じ取ることさえ難しくなります。こうした状態では当然、骨の形状や関節の感覚を正しく認識することもできないため、「骨の感覚がない(感覚が希薄)」という状態となります。いったんこうした状態になってしまうと、そもそも骨そのものの感覚が希薄なので施術の「骨膜の緊張」「内部組織の機能低下」などを改善するための施術を行ってもあまり意味をなしません。そうした場合はまず一定の状態にまで「骨の感覚を戻す(感覚を強める)」ことが優先となります(本来は濁った感覚を整理した上で骨の感覚を強めていく)。骨の感覚を優先的に回復させることは、各身体組織の感覚に優先順位(序列)を設け、各感覚を順序よく回復させていくことに繋がります。

 実際の患者さんの多くは、この「骨の認識」が希薄もしくは曖昧な場合が多いため、自身の体の形状を正しく認識できず、かつ正しい動きを構築できない状態にあります。これは骨の感覚がしっかりしている人と比べると顕著で、骨を触られてもそれを骨だとははっきり感じ取れない。また触れている私たちも「骨としての感覚が曖昧」と感じられます。また一人の体の中でも骨によってその感覚の程度が大きく異なるので、ある部位では骨を感じやすいのに、ある部位では全く感じないといったことが起こります。

 体は全ての感覚情報を骨を基準として認識するようにできています。その骨の感覚が曖昧な状態では、どんな施術も体を正しく動かすことには繋がりません。まずは全身、もしくは局部で曖昧になっている骨の感覚を「そこに確かに骨がある」となるまでに回復させることです。ただ、これにはもちろん骨の感覚の障害になっている問題が他の組織にあることも多いので、必ずしも骨を施術の対象とすればよいというわけではないのですが、「骨の感覚の正常化」を全ての施術の基盤としておくことは重要な意味をもちます。