自然に治す

 

 これは師の口癖でしたが、大和整體では「自然に治す」という考え方を重視します。自然に治すというのは幅広い意味を持つのですが、より重視するのは「施術での治癒に拘らない」ということです。大和整體の大元である「大和医学」では、健康の四要素として「動・食・息・想」の四つを設けています。これは「動=体の動かし方」「食=食事のあり方」「息=呼吸の重要性」「想=想念・考え方の重要性」を説いたものですが、体はそもそも「自然に治るべきもの」であると考えるので、こうした日常生活の注意で治ることこそが自然であり、治療によって治るということはそれ自体、不自然であると考えます。施術を行うとしても、その本意は「動・食・息・想」を正しく行うことができなくなっている体に対して、それが正しく行えるよう調整をすることが目的で、治すことはあくまで体の自然な作用に任せます。

 

 私たち施術家にとって「治す」ことこそが目的であるのが普通ですが、それは体にとってみれば必ずしもよいこととは言えません。体の不調は、それが人の力に頼って治るのでは、その人自身の「治る力」を弱めてしまうことになりかねないからです。そのため、大和整體の施術は「十割すべて」を行うことを良しとはしません。かならず最後の治す作業は体自身に委ね、施術を八割、六割に抑えます(六割を理想とする)。こうした体自身が治癒するための余地を残せば、そこで得られた「治癒」は体自身の働きの結果となるので、その状態が持続されやすくなります。しかし、施術者が十割すべてを行ってしまえば、体はその急な変化を受け入れることを嫌い、元の状態へと戻ろうとする力が働きやすくなります。これは子供に勉強を教えるのと同じようなことですが、教える時に答えまでを教えてしまっては意味がありません。あくまで子供が自ら答えを導き出せるように誘導することが理想で、それでこそ「身に付く」というものです。私たちの行う施術もこれと同じで、「最後まで治してしまいたい」という気持を抑えることが、結果的に体をよい方向へと導くことになります。

 

 その上で、日常生活における「勘違い」は可能な限り説明によって正しておく必要があります。最近は西洋医学の急激な進歩によって、毎日のように新しい健康習慣が取り上げられていますが、私たちの考える健康とは当たり前の生活の中にあります。例えば「お腹がへるまで食事はしない」。お腹がへってもいないのに、毎日のリズムだからといって無闇にお腹に食べ物を詰め込んでしまえば胃腸が疲れるのは当然です。また、「疲れたら食事は控える」というのも、多くの人は疲れたらたくさん栄養のあるものを食べて体力を回復しようとしますが、疲れているのは内臓も同じです。疲れた内臓でそんなものを消化・吸収できるわけもないのですから、本来は余計に食べた分だけ疲れるだけです。こうした当たり前のことすら感じられないほどに私たち現代人の感覚は鈍くなっているので、日常生活の中で正すべきことは数多くあります(この辺りはトップページの「来院中の方へ」で説明しています)。

 

 動いて疲れたら、疲れた分だけやすめばいい。食事をしたら、消化・吸収が終わるまでなるべく動かない方がいい。そういった当たり前のことをしないからこそ体が壊れ、それがなかなか治らないのです。そうした日常生活での誤りを多く抱えている人は、それが誤りであると気付ける程度には感覚を戻す必要があります。そして、外からの知識ではなく、自分の感覚に基づいた「自分に合った生活習慣」を作り出すことで、自身の健康を維持することができるようになります。大和整體にとって施術はそのための手助けであり、自身の技術で治したことを誇ることに意味はないのです(長期的に見れば患者さんのためになっていないことに気付けると思います)。