交感神経と悪癖


 

 「感覚の偏り」とは、そのまま私たちが持つ「癖」と同じ意味です。「癖」自体は「人それぞれが持つ個性」といえますが、どんな癖でもそこには必ず体の機能に偏りを生じさせるものです。それが一定の範囲を越えてしまうと、負担の大きな局部ばかりに疲労を蓄積してしまう「悪癖」となります。こうした悪癖に伴う過度の疲労から体の一部機能が低下すれば、そこで失われた機能は他で代償されることになり、その繰り返しから「体の誤作動(バグ)」が生まれることになります。ただでさえ癖による「感覚の偏り」から自身の体を正しく感じることができていない上に誤作動までが加われば、そこで自身の体を正しく感じることができないのは当然です。私たちがいくら自分の体の感覚を明確に感じているとしても、そこには「自分が感じやすいものを優先に感じる(癖による感覚の偏り)」「誤作動により感覚が低下した部位はほとんど感覚がなくなる」ということを前提とした、曖昧な感覚でしかありません(絶対的な正しい基準を持たない曖昧かつ相対的な感覚でしかない)。

 

 ただしその背景にあるのは「交感神経の過剰な働き」です。これは人が本来の生活をしていれば、加齢とともに減弱していく筈のものです。人は成長過程で強い体と豊富な体力を手に入れます。経験の浅い若いうちは、これに任せてとにかく活発に活動するのが普通です。しかし年齢と供に経験を積み重ねることで、体力が衰えることもありますが、徐々にその思考と行動には無駄がなくなり、若い時ほどの「交感神経の過剰な働き」は不要になっていきます。これは「職人」なら、その仕事は体を覚えることになり、老年になればなるほどその動きに無駄がなくなることと同じです(感覚や機能の成熟・成長)。その結果として、よく「老人になると子供に戻る」といわれるように、老境に達すると交感神経の過剰な働きが不要になるため、本来の自然な感覚・動きへと戻ることができるということです。しかし現代ではその環境の著しい変化から、歳を重ねてもなお交感神経の働きに頼らざるを得ない生活を強いられるのが普通のようです。体力のある若者が少々交感神経を過剰に働かせたとしても、それが大きな問題に繋がることは稀ですが、体力の衰えた老人がなおそれを行えば、それが体の異常に限らず、脳の機能に大きな影響を及ぼすのも当然のことです。

 

 交感神経の過剰な働きは、ただその人の悪癖や過度の活動以外にも、ケガなどの既往歴に伴う機能不全が関わっていることも多くあります(患部の機能低下を補うために緊張せざるを得ない)。交感神経の働きというのは「その人にとっての諸事情」が反映された結果に過ぎません。何がその理由であるにせよ、交感神経の働きが一定異常に活発になれば、感覚は低下し、正常な働きは期待できなくなります。交感神経の働きは、それが「ある一線」を越えると体が正常な反応を失い、誤作動が起こりやすくなります。体はその交感神経の働きが「正常な範囲内」であれば相応の回復力・治癒力を発揮するので、必ずしも施術は必要ではありません。しかしその範囲を越えて「誤作動」の中にある体では、自然な回復・治癒があまり期待できないうえに、施術をしても正しい反応が得にくいために治癒が難しい対象となります。こうした体に対しては、交感神経の働きを「正常な範囲内」に戻すための施術が必要となります。