愁訴と感覚の低下


 

 交感神経の過剰な働きは、主要な血管には循環を促進させるものの、毛細血管レベルには循環不良を引き起こします。これは全身各組織への血液循環に偏りが生じるということで、その結果として全身の感覚にも偏りが生じることになります。こうなると、本人は「全身を使って動いている」と思っていても、それが周囲から見ると「局部に頼った偏った動き」に見えてしまうものです(力の入りやすい部位・入りにくい部位の差が動作に現れる)。感覚に偏りは左右半身で均等に起こることはないので、そこに左右さが生じることで偏りはより大きなものとなっていきます(体の歪みの潜在的要因)。こうなると、自分の偏った感覚に合った動きしか行えなくなるので、動作の負担は全身に均等に分散されず、局部へと偏ることになります。この局部への負担が一定の範囲を超えてしまうと「痛み」などの愁訴に繋がることになります。ここで重要なのは「愁訴」が生じるのは「感覚が敏感な部位」であり、同様の負担が生じていても、それが「感覚が鈍感な部位」には痛みは感じないということです。

 

 例えば「腰痛」を持つ人の原因が昔の足の捻挫にあるとします。この場合、無意識に「庇いたい」足首については常に緊張で固めることになるので、感覚が低下し、そこに異常が生じてもあまり感じなくなります。逆に足を庇うためには股関節や腰部に常に不要な緊張や動きが必要になるので、負担がある範囲を超えてしまえばそれは「痛み」に変わります。足部では感覚はどんどん低下するのに対して、腰部では「痛み」を気にすることで逆に感覚はどんどん鋭敏になります。こうなると、腰部は僅かな違和感があるだけでもそれが「痛み」に繋がりやすくなるので、痛みはなかなか消えてくれません。そもそも感覚や動きに「偏り」が生じているので、その腰部に同じ負担がかかり続けていれば、敏感な腰部にとっては「痛む理由」には事欠かないわけです。

 

 体はその感覚に偏りがある限り、正しく機能することはできません。その偏りの根本原因は交感神経の過剰な働きなのですが、これには体に一定の偏りが生じると、その動きにくい体を動かすために「更なる交感神経の働き」が必要になるという悪循環も関係しています。つまり感覚的・機能的な偏りがあるという時点で交感神経の活動は必須のものとなってしまうため、そうした状態から直接交感神経の働きを抑制することは難しいといえます。そこで「整体」の出番となるのですが、優先すべきは体に生じている感覚的・機能的な偏りを均一に整えることです。均一に整いさえすれば、交感神経の働きを直接抑制することは難しくありません。ただ、実際には感覚や機能が均一に整った時点で、体は自ら交感神経の働きを抑制する仕組みを持っていますから、整えることがそのまま交感神経の抑制にも繋がっていくことになります。ただし、一般的な施術が対象とする「機能を整える」だけでは不十分です。「機能の偏り」の背景にあるのは「感覚の偏り」であり、これを整えるとができなければ自然な交感神経の抑制も望めません。