体部という区分


 

 体のどんな組織にも「施術すべき時期」があります。これは目の前の患者さんの体に複数の「悪い処」を見つけたとしても、その中で「いま施術すべき部位」と「いま施術すべきでない部位」があるということです。例えば「ある悪い部分」は何らかの理由があって不活性なり誤作動なりの状態となっているわけですが、その背景に「別の理由」があり、その理由が解消されない限り正常に機能しないとしたら、その部分に施術をしても意味はありません。ただ、その部分にあまりの機能低下が見られ、周囲機能とのバランスを考えて「可能な範囲だけでも回復させておいた方がいい」と判断することはあります。そうした場合は、あくまで「現状なりの回復しか期待できない」ことを念頭において施術をすることになります。

 

 こうしたことを大きな視点に置き換えると、体にはその状態によって「施術が効きやすい対象」が定まっているいるものです。これは本人にとって「体への意識が集中している部位(組織)」と同じです。本人の意識が集中しやすいので施術に対する反応がよいのです。例えば一般的な人の「身体感覚」というのは「運動器」に集中しているものです。運動器への意識が高く、内臓への意識が低い人に対して「内臓への施術」を行ってもあまり効果は期待できません。この場合、内臓へ行った施術は、内臓そのものにはあまり効果がない代わりに、関連する運動器に強い反応が生じるものです。内臓へ効果の高い施術を行いたければ、内臓へ意識が集中している状態にまで体を変えなければいけないということになります。

 

 一般的な人の「体への意識」は運動器(体壁系)に対して強くなっているものですが、そこには「頭部を覗く」という条件が付きます。頭部を覗いた運動器をここでは「体部」とします。体部に意識が強くなっている人では、体部への施術はよく効くのですが、体部以外に施術を行うと、それが体部の反応として強く現れます。「頭部への施術が全身を大きく変化させる」などはこの好例ですが、逆の見方をすれば、頭部そのものを変える効果として低いということになります。では「頭部そのもの」を確実に変化させるにはどうすればいいかといえば、施術によって「体部」が整った状態で安定すると、本人の意識は「安定してしまった体部」には集中しにくくなるため、次に集中のしやすい「頭部」へと移ります(頭部に関する感覚ばかりが敏感になる)。この時、それまで安定状態にあった体部は、頭部の問題を反映する形で崩れますが、これは頭部が整うことで改善することができます。この時期に頭部へ施術を行うと、頭部そのものにそれまでとは比較にならないほどよい反応が得られます。

 

 人の意識が集中しやすい対象は主に「体部→頭部→内臓→心臓(四段階を経て体の変化が一周する)」の四つで、これは「施術によって整えるべき順番」でもあります(体の認識対象の変化)。ただ、ほとんどの人の体の意識は「体部」にありため、施術が効果を奏する対象も「体部」に限られてしまうのが普通です。大和整體でも基本の段階の施術は全て「体部」を対象としています。しかし本人の体への感覚が「体部」にある限り、そこで「治せるもの(変えることのできるもの)」も限られてしまいます。大和整體の施術は、この体部を整え、本人の体への意識を順次変化させていくことが必須の条件となります(一周することで体の状態が根本的に変化する)。重篤な愁訴や疾病を抱えている人ほど、これを何周もするほどの変化を必要とするものです。ちなみに先に説明した「大変化」というのは、狭義にはこの「体の認識対象の変化」を指しますが、広義にはそれ以外の大きな変化も含みます。